ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

修行の落とし穴【執着を捨てる】

youtu.be

寂しい男ーー女性には縁切りを、男性には善友づくりを勧めたブッダ心理療法

 

こちらの法話について、このブログで2回にわたり記事を書きました。

男性の分析と夫婦が幸せに生きる方法【夫が依存症になったら】 - ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

女性の分析と、成功する女性の修行方法 - ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

 

そして18日、YouTubeで初期仏教Q&Aでこんな相談がありました。

https://youtu.be/ADM1xJ1KCoc

Q10:​先日、自分の子供がベランダを乗り越えて自殺しようとしているのを見つけ、止めました。その時私は冷静に行動できた反面、「面倒を避けたい」とも考えていました。自分の子供に「死なないでほしい」と思わなかった自分が気持ち悪く、執着を捨てる修行をしていたつもりがどこかで大きく間違ってしまった気がします。こんな自分の心を躾し直すには、どんな点に注意をして、何をすれば良いのか教えて下さい。

 

仏道の修行は両輪で、ヴィパッサナーと慈悲の瞑想の二つで支えられているのですが、執着をなくすことに傾いて、慈悲の車輪が同じ大きさで回転せずに進む方向が曲がってしまったのかもしれませんね。

おもちゃの車でも二つの車輪が同じ大きさでないと、まっすぐに進みません。

ヴィパッサナーと慈悲の瞑想、どちらもやるということはわかっていても、目的が「執着を捨てる」ということで力の入れ方が知らず知らずに偏ってしまったのでしょうか。

ハッとする質疑応答でした。

私も気をつけなければ。

 

それと特筆すべきは、「執着を捨てるとはどういうことか」についてお話がありました。

 執着を捨てるとは、無責任になる、無関心になる、ということだと勘違いしてはならないのだそうです。

「生命から何も期待しないことが、執着を捨てることなんです」(スマナサーラ長老)

 

「子供は執着は嫌がりますけど、優しさを期待します。自分の悩み苦しみを聞いてくれる、理解してくれる人が必要なんです」(同長老)

 

 

もしかしたらこの場合は、修行の目標が「執着を捨てる」というより「執着のない慈しみの心になる」と言い換えた方が良いかもしれません。

「執着がない慈しみ」というブッダの慈しみの心を目指して頑張りましょう。

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