ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

悟りの最終段階の実況中継とは(スマナサーラ長老法話より)

 悟りの最終段階にいる修行者は、喋る場合はダンマのみ喋り、思考する場合はダンマのみを思考します。妄想が一切ありません。しかし心は元気なので思考が出てきます。その時は余計な思考ではなくて真理の思考をします。喋ることは、そのレベルにいる修行者にとって、いくらなんでも危険なのです。思考する時もサマーディを作ったりして、とにかくできるだけ思考が湧きあがらないようにします。

 

 そこで禅定を道具に使うのです。その場合、第四禅定が適しています。第四禅定というのは解脱に達する人にとって1つのツールです。必ず必要ということではなく、それがあったら相当危険を避けられます。なぜなら第四禅定の場合は思考が出てこないからです。そうすると、邪魔が入らない状態で観察瞑想ができます。

 

 ウペッカーとは、日本語で捨と訳します。しかしヴィパッサナー瞑想をする人の捨の場合は、慈悲喜捨の捨ではないのです。一切何も判断しない、という捨です。

修行者はものすごく気をつけて、ご飯を食べる時でも、美味しいか不味いか絶対判断しません。判断することを避けるのです。

その工夫として私は皆様に、食べる瞑想を紹介しています。「判断ゼロ」の食べる瞑想です。例えば、宿泊瞑想で一日の終わりに入浴して「やっぱりお風呂って気分がいいなー」というのはダメです。そこで判断が入ったのです。

 

 本当のところは、ヴィパッサナー瞑想の真の道はあまり語れません。生ぬるいやり方で完成するものではない世界なのです。

判断しないで生活できることが如何なるものか、想像を超えているでしょう。心が安穏のままで、何にも動じない状態です。ですから皆さん、ちょっと覚えておいてください。ヴィパッサナー瞑想を実践する場合は、間違ってでも判断しないこと、と。

歩く瞑想をする時でも、座る瞑想をする時でも、ご飯を食べる時でも、他のことをやっている時でも、判断はしない。

善悪、良し悪し、うまくいった、うまくいっていない、などなど、あらゆる判断を避けるのです。

 

ですから実況中継が必要でしょう?

座布団を片付けるなら、「片付ける」と実況中継をします。もしここで、「うまくいった」と実況中継ではなく判断を入れたら、これは瞑想ではなくなってしまうのです。

(了)