ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

パティパダー2024年6月号 智慧の扉 Avijjā(無明)のムチャブリ スマナサーラ長老

Avijjā【アヴィッジャー】(無明)は生命の基礎衝動です。どんな生命も大変なエネルギーを使って、必死に生きています。「生きていきたい」という衝動が無明です。心に「怒り、嫉妬、憎しみ」などが起これば、「自分に怒りがある」と簡単に分かります。

 

しかし無明はどうでしょうか? 自分にある無明に気づくのは難しいので、ひとまず全ての生命の生きるパワーが無明であると理解しましょう。生きるために無明が必要で、簡単に無明と関係を断つことができません。たとえ体が壊れても、「生きていきたい」という気持ちは消えません。そこで無明が、次の新しい命を作ってしまうのです。そのように自分にも、「生き続けたい」というエネルギーがあるとわかるはずですが、もしわからなければ「死にたくない」という言葉に入れ替えて理解してみてください。無明は、頑張って生きるほどに強くなっていきます。皆さんは仏教を勉強し始めて、つまらなく感じたこともあるでしょう? それは無明と対立したデータを取り込んだからです。無明を掻き立てる話なら、つまらない気持ちにはならないものです。

 

無明が「生き続けなさい、死ぬんじゃないよ」と私たちに指令していますが、そうはいっても肉体は老いるし病いに罹ります。無明が勝手に「決して死ぬな」と命令を下しても、現実はその通りになりません。例えば、人に仕事を与える場合は、相手の能力に見合った内容に調整する必要があります。もし私に「明日から病院へ行って患者さんを治療しなさい」と指令するならば、能力に合わない仕事を与えることになります。そのように、老いて病気になる身体に対して「生き続けろ」という無明の命令は、初めから論理的とは言えません。しかし私たちは無明で無知なので、歳を取ったり病気になったりすると悩みます。「あの無明が無茶なことを言っている」とは思わないのです。老化や病気の他にも、事故や災害などで命がなくなる可能性が常にあります。だから私たちは、毎日苦しみを感じ、悩み、それでも生き続けなくてはいけないと頑張っているのです。この根本的な原因が無明です。お釈迦様は十二因縁のサイクルを、無明から語りました。無明こそが頭【かしら】で、そこから命の循環が現れるのだ、と教えているのです。(了)

 

 

☆パティパダーは日本テーラワーダ仏教協会の月刊誌です。この記事は2024年6月号パティパダーに掲載されました。